「ありがとう」の鮮度。
2008 / 02 / 10 ( Sun )
え〜言葉というのは生き物なんでございまして。

一度口にしたら、もう戻りません。

くどい様ですが、生き物ですから。えぇ
無闇矢鱈と殺生したらいけません。
これは道理でございます。

この「言葉」という生き物、
これがなかなか飼い慣らすのが難しい生き物でして、
粗末に扱うと手を噛まれたりするんでございますな。

かく言うアタシも先だって噛まれまして。
いや、まったくお恥かしい次第でございます。


時にこの「言葉」。
TPOに応じて、見る者の前で姿を変える
ちょっと風変わりな生き物なんでございます。

見る者によっては
獰猛な獅子の様にも、狡猾な狐の様にも見えるわけです。

機嫌の悪い時なんざ、獅子の様なナリで
人様の尻あたりを「ガブッ」といく事もありますから
飼い主としても注意が必要なんでありますな。

え〜もちろん、いつでも気性が荒いわけではありません。
生き物ですから、それ特有の癒しの効果ももっているわけで。
え〜そのへんはアレですな、イルカセラピーなんかと同じ原理でございますな。

「好き」なんて事を言われますと
胸のあたりが何と言いますか、こう…温くなります
どんなに喧嘩をしても、迷惑被っても
「ありがとう」や「ごめんなさい」
の一言で蟠りが相殺されてしまいます。

これもひとえに「言葉」の持つ癒しの効果ではないかと
推考出来るわけですが
ここで一番大事なのは「言葉」が生き物であるという事

「ナマモノ」には「鮮度」がある様に
「生き物」にも「新鮮度」みたいなもんがある様に思います。

言わば「今見せたら一番驚くだろう」ってタイミング。
そのタイミングを逃してしまうと
例えば「ありがとう」の衝撃も半減してしまう様な。

え〜これでは折角の言葉も台無しでございます。

折角、人様に見せるわけですから
その「言葉」の一番輝く角度で見せたいものですな。合掌。

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僕としおりと友人S。 part3
2008 / 02 / 09 ( Sat )
そして、そんな事を思い出している時、僕はある妙案を思いついた。
「CMにみる一連の現象は、枝折りでも然りではないか…?」と。
思い立ったが吉日、待てば甘露の日和ありなんて悠長な事は言ってられん!
とばかりに、即座に部屋中の本の中から枝折りをかき集め、並べてみる。

するとどうだ、僕の思った通りではないか。
枝折りの中に多分に含まれた広告的要素はもちろんの事、
イラストや写真、キャッチコピーに至るまで、
見事に時代が反映されているのだった。

「これは面白い」と、以後僕は枝折り蒐集に没頭していく事になる…。

そして、日課の様に古書店へと出向き、枝折り蒐集をしていたある日、
いつもの様にページをパラパラとめくっていると
ページとページの間を一瞬、見慣れたモノが通り過ぎた
ん?
もう一度ページをめくってみる。
やはり見慣れた何かが通り過ぎていく。
んん?
逸る気持ちを抑え、そっとページを開くと夏目漱石と目が合った。しかも二人…。
もちろん、ドキドキする気持ちなんて微塵も見せず、
僕は何食わぬ顔で100円で売られていたその本を買ったのだった。

後日、友人達はこぞって「それはヘソクリだ」と言うのだが、
僕は「きっとお金持ちの枝折りはお札なんだ!」と反論し続けた。
何せ卑猥な雑誌の裏表紙には、
水晶キーホルダーとやらの力で金持ちになったブサイクが載っている様な奇妙な時代だ。
お札を枝折り代わりに使う人間がいたって不思議ではないだろう。

ともあれSにはお礼をしなくちゃならんな。
水晶キーホルダーでも送ってやるか…。




追記:現在のSは大宮あたりで多くの人に紛れ、質素な生活を続けてるらしい。
Sの人生におけるピークはあまりにも早かったのかも知れない…。

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僕としおりと友人S。 part2
2008 / 02 / 08 ( Fri )
 話は逸れたが、僕とこの友人は小学校も一緒だった。
それ故、僕は彼の様々な側面、奇行を多く目の当たりにしている。
小学校時のSは給食の時に箸を忘れると、
何の躊躇いもなく鉛筆を箸代わりに給食をたいらげたり、
鼻水をも拭きまくる万能タオルを持ち歩いていたりと、
羞恥心とは無縁の野性的な子供だった。
兄の影響で低学年からボンジョビを聴くようになり、小学校も高学年になると
キース・リチャーズ(ストーンズのギタリスト)について語り始め、
ジーンズの色落ちについては、誰よりも開眼するのが早かった。

人付き合いは苦手だったようだが、何故か学級新聞に小説を連載していたし、
(Sが当時飼っていた『愛犬ビチの小さな冒険』みたいな話で、
これが中々の反響だったし、僕も続きを楽しみにしていた一人だった)
図工の時間に彼が作り上げたコラージュ作品
画用紙に描いた蓋付きの大きなビンの中に
広告から切り抜いた人間の顔を無数に貼り付けたもので
タイトルは『学校』
比較的仲の良かった僕は小学生ながらに
『こいつはどうも天才くさいな』と思っていた。

 そして小学5年生になったある日、S宅に遊びに行った時の事。
招かれたはずの僕を部屋に置き去りにしたまま、
いつまで経ってもSが戻って来ない。
これはどうしたものかと、僕は恐る恐る居間の方へ。
するとSは居間のテレビの前にどっかりと腰を下ろし、ゴソゴソと何かしている
をしているんだ?」と尋ねると
「CMを録画している」と言う。
「CMだけを録画しているのか?」と聞くと
「そうだ」とSは言った。

よくよく尋ねてみるとCMだけを録画している理由はこうだった。
「CMだけを録りためたものを時間を経てから観かえしてみると、
その時代がよく分かる」
というのだ。
つまりCMには時代が如実に反映されていると…。

言っている事は何となく理解出来たが、そりゃ小学生の発想か?
その時、僕はこう思っていた事を思い出す。
「こいつの中には、きっと小さなおっさんが入ってるんだ…」
同時にこうも思っていた。
「やはりこいつは天才の類なんだな。
今のうちに仲良くなっとけば将来きっと……ムフ。

と、まぁそこまで思っていたかは、記憶が曖昧であるが、
以上のが4年前に僕がふと思い出した事だった…。

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僕としおりと友人S。 part1
2008 / 02 / 07 ( Thu )
『しおり』と言ってもそんな健気な響きの名を持つ女性の話ではない。
本に挿むアレの事だ。
皆さんがアノ紙切れ一枚にどんなイメージを持っているかは分からないが、
僕はそんな『枝折り』のコレクターである。…と言ってもまだカケダシだが。
今までに集めた枝折りの枚数はおよそ700枚。
体積でいうと800万の札束ほどの量(見た事はないが)と思われる。
しかし、ネットで調べてみると枝折りのサイトを運営している方で、
所有数1万枚という方もおられた。
これはもう枝折り道の大家である。『神の領域』だ。
僕の700枚など無きに等しい。まだまだこれからである。

僕が枝折りを集め始めたのは4年ほど前からで、
そのキッカケはふと昔の友人の事を思い出した事による。

思い出した友人の名は。中学時代の友人で、
当時一緒にバンドを組んでいた、とてもわり者のギタリストだった。
僕らの中学時代というのはバンドブームも鎮火した後の事で、
他にバンドを組んでいる奴らもいない時代だったが、
当時の僕らは違っていた。日々夢中で楽器をかき鳴らし、
夏には合宿するほどバンドに熱中していたのである。

まぁ、それだけ熱中していたら、いくらバンドブームが去った後とはいえ、
校内では『羨望の眼差し』を浴びてもよさそうなものだが、
当時の僕らといえば同級生にも異端児扱いされ、
身を寄せ合うしかないでいたのだった。

それというのも、当時僕らがメインとしてカヴァーしていたのが
『ローリング・ストーンズ』だったからだ。
同級生達がこぞって「ブルーハーツ」やら「BOOWY」やら
「ユニコーン」やらを聴いていた時代に、
『ストーンズのコピー(しかもインスト)』は受けなかったのだ。

地区の夏祭りに呼ばれ、トラックの荷台で演奏した時は
オジさん達に大ウケだったのだが…。
やはり片田舎の中学生にストーンズは早過ぎたのだろうか。
いや、『遅すぎた』のか…?

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いつかそんな日が。
2008 / 02 / 06 ( Wed )
「古代の地球は、数頭の象の上に平らな地上があり
空はドーム状に描かれていた。そして星々はドーム状の膜に穿たれた小さな穴であると考えられていた」

そんな話を耳にした時、思わず僕は笑ってしまった。
普通の感性ならば古代の人々の今や突飛と思える発想が笑えるのだろうが、僕の場合はいささか違う。
僕もまた、それと全く同じ幻想を抱いていたからである。
もちろん、平らな地上を象が支えているとは思っていない。同じ幻想とは星々のくだり。
今や地球は丸いのだ。地上を支えるほど巨大な象も今のところ発見されていない

しかし一致しているのが星々のくだりだけとは言え
現在に至るまでには幾億もの存在・現象が確認・解明され
今や僕は車に乗り、電話を携帯し、風邪をひけば薬を飲み
血液型の違いによる人間の行動分析だって出来る時代に生きているのだ。

その僕が古代の人々と同じ思考?りありぃ??
僕の脳はどうなっているんだ?もしかしたら、原始的な脳の部分が
異常に肥大しているのかも知れない。そんな不安もあったりなかったり。

しかしながら、僕も古代の人々もそんな想いを抱いている(た)くらいなのだから
今この広い世界のいたる所にそんな幻想を抱いている人々がいても可笑しくない。
そう思うと更に奇妙な感覚に陥ったりもする。

あまり夜空を見上げる事が無くなりつつある今でも、時折星をじっと見つめながら、
「やはり、星々とは世界を覆う暗幕に穿たれた無数の穴からもれる光ではないか。
この暗幕を取払う事が出来たなら
そこには神々しいほどに眩い世界が広がっているのではないか」
そう思う事がある。

実は疑惑の絶えない月面着陸もやっぱり嘘で、アームストロングも
モーリさんもムカイさんもチアキさんもみーんなグルで口裏を合わせていて、
「本当は夜な夜な巨大な暗幕が世界を覆っていたんです。嘘ついてゴメンナサイ
なんて日が、いつか来るかも知れないが。。。

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