S伝説。 part2
2008 / 02 / 25 ( Mon ) 以来、ちょいちょい僕の部屋を訪れる様になったSが
ある日、自分の親友を連れて来たいのだという。 そりゃもちろん快諾しました。 だってSの親友となる人間に興味が湧かないわけがないもの。 後日、Sと共に僕の部屋を訪れたK氏。 …むぅ。ナヨナヨしている。非常にナヨナヨしている。 しかも何処かしらヲタ臭がするK氏。 サラサラのロン毛はすでに後退しつつある様だった。 まぁ、仮にもSの親友だと言うくらいだから 風貌もこのレベルでなくては面白くない。 しかし、K氏はかなりの人見知りらしく あまりK氏をイジる事も出来ず、無念のままにその日は終了した。 と、その数日後、今度は僕がK氏宅に呼ばれた。 何でもSによるとK氏が僕に興味があると言い出したらしい。 アッチじゃないよな? と妙な不安を抱きつつK氏の部屋にお邪魔した。 扉を開けると本、本、本。本の山。 書物に目が無い僕は早速喰いついたのだが 何かがおかしい。 さいとうたかを「サバイバル」、毒薬マニュアル、 実践サバイバルをはじめ、他にも火薬等に関する本etc…そんな本ばかり。 極めつけは多数の哲学関連の書物と ロボットの作り方という本だった。 お、お前ら… やがてK氏が哲学や火薬・毒物についていくつか質問してきた。 僕は知りうる範囲でそれに答えたが やはり何かがおかしい。 カラータイマーの如く、僕の心の警報機が鳴り出した。 異変を感じ取った僕はS達の方へ目をやった。 するとSとK氏は客人である僕をよそに 部屋の隅で何やら話し込んでいる。 その数分後、二人は大きく頷き、そしてSが口を開いた。 「仲間にならないか?」 K氏がそれに続く 「タートル君なら仲間にしてもいいと思っているんだ」 …ん? 何だ?何の事だ? 何の組織だ? 話の行き着く先がさっぱり見えない。 が、確実に何かがヤバイ。 山積みの本がそれを物語っている。 僕の心の警報機はもはや壊れんばかりだ。 こ、断ろう。一刻も早く断ろう。 いささかの興味はあったが 丁重にお断りし、僕はK氏宅をあとにした。 以来、二人には会っていない。 それからというもの 毎朝新聞をチェックする様になった事は言うまでもない…。 |
S伝説。 part1
2008 / 02 / 23 ( Sat ) 嗚呼、何か久々のログイン。
最近PC君のご機嫌が斜めっぱなしでしたが 何とか機嫌をもどした様で一安心。 またブログを書ける喜びを噛みしめつつ、早速本日の話題へ。 先のブログで書いた「僕としおりと友人S」。 奇行の目立つ友人Sと僕の過去を、一切脚色無しで書き綴った噺でしたが あのブログを書きながら、つい思い出してしまった 友人Sを巡るもう一つの伝説。 今日はSがこのブログの存在に気付かない事を祈りつつ もう一つのSを巡る伝説に触れたいと思います。 例のSと共に組んでいた名も無けりゃボーカルもいないバンドを 僕が脱退したのは高1の夏。 元々、名も無きバンド創成期から 僕と他のメンバーとの間にはテクニック的ひらきがあった。 もちろん下手なのは僕。 僕が高校から部活を始めた事が それに拍車をかけ、いたたまれなくなった僕は ある日バンドを去った。 それから数年間、彼らと会う事はなかった。 何だか後ろめたい気持ちがあって 無意識のうちに僕が彼らに会う事を避けていたのかも知れない。 しかしSとの再会の時は突然訪れた。 脱退劇から4年後、僕の部屋は無法地帯と化していた。 社会に出る事に難癖をつけ 毎日誰かと酒を飲み、うらぶれていたある日 ふと気が付くと、部屋の隅の方でSが酒を飲んでいたのだ。 知らない人間がいる事なども日常茶飯事だったが Sも誰かしらの繋がりで連れて来られたらしかった。 恐る恐るSに近づく僕。微妙な雰囲気。 しかし、すでに名も無きバンドは解散したと聞いた時 フッと後ろめたい気持ちが消えた。 そして朝までSと酒を酌み交わした。。。 |
修造しい。
2008 / 02 / 18 ( Mon ) 【修造しい】 形容詞
数年前「新すぃ日本語」という番組で生まれた言葉。 意味:矢鱈と熱い人の事。また、その様子。 (例)「ちょっとあの人修造しいよね」 「これぞまさに【修造しい】だな。ウヒャヒャヒャヒャヒャ…」 いつかの日曜、僕はぬるぬるのバーボンソーダをガバガバ飲みながら 「ゲットスポーツ」を観ていた。 ブラウン管には、将来有望な少年達にテニスを教える松岡修造。 …うぅ…熱い、熱過ぎる。情熱??…いや、最早これは灼熱の域だ。 ラクダだって裸足で逃げ出すだろう。 「ん?ラクダは初めから裸足か…。しっかし修造しいな。ぐびぐび…」 しかし、これより約20分後、僕は修造によって泣かされる事になる。 「この中で俺は夢に向かって誰よりも努力してるって言い切れる奴ァいるかぁ!?」 番組の序盤、少年達に向かって修造は咆える。 時に修造は突き放し、叱咤し、少年は涙ぐむのだが 最終的に少年は、修造が叱咤する意図を知り 成長して行くというスポコン全開の展開だ。 「ゲットスポーツ」という番組のベクトルと 「松岡修造」という稀代の情熱家。 タッグを組めばこうなるのではないかと大方予想はしていた。 しかし、知らぬ間に僕は修造マジックにかかっていた様だ。 だって少年が笑顔を取り戻したあたりには、もう僕号泣なんだもん。 「僕の中にもまだ小さな炎が灯っていたんだなぁ…」 などと涙ながらにまたグビグビする僕であった…。 「もうちょっと頑張ろう」 本気でそう思える瞬間でした。 追記:修造の ポーズでもなければ演出でもない。 彼の様な人間こそ政治家になればいいのに。 今、政治に最も必要なのは修造しさかも知れない ちょっと本気でそう思えましたよ。 最大限の努力をしましょうね。皆さん。 あ、まずは僕ね(汗 |
点と線。 part2
2008 / 02 / 15 ( Fri ) 皆さま覚えているでしょうか?
昔懐かし「点つなぎパズル」。 そう、あの「点を番号順につないでいくと一つの画になる」アレです。 雑誌の懸賞付きなんてのがありましたねぇ。 先の電車内での僕の妄想を基に例えるならば 人生に巻き起こる一つ一つの偶然とは まるで点つなぎパズルの点の様。 【紙面に乱雑に配された点】 一見するとそれら乱雑に配された点に意図など無い様に思われるが 根気強く点と点を繋いでいくと やがて一つの画が浮かび上がる。 そうやって、画が完成してはじめて 「この為に配された点だったのか!」と納得出来るのだ。 結果、一見偶然に見える点も、実は必然であったと言える。 仮に、画を完成させるにあたって 必要のない点が幾つかあったとしても 次はその点を使って新たな画を完成させればいい。 そう考えれば、人生においては偶然どころか 無駄な事さえない様にも思える。 僕の場合も、アノ出会いもアノ経験もどれか一つ欠けていれば この仕事の依頼という『画』は出来上がらなかったわけです。 「…そう考えると、偶然は必然に内包されている事になる。 …ん?つまり偶然も必然の一部か… …むむっ!?それならば より点(人生における経験や出会い)の多い方が より緻密でより綺麗な画になるではないかっ!!」 なんて事を考えながら電車に揺られている僕でありんした。 |
点と線。 part1
2008 / 02 / 15 ( Fri ) ここ数ヶ月、通勤には電車を利用する事が多くなった。
って言うか最近、電車での通勤にめっきりハマッている。 仕事上、行き帰りが一般の方とは異なる為 車内は比較的空いている。 そんなガランとした車内で 妄想や想像と言った考え事に没頭する事が 何だか楽しくて仕方ないのだ。 片道20分という限られた時間が 集中力を高めているせいかも知れない。 今日なんかは、やけに空いていて 考え事に集中するには打ってつけの空間だった。 いつもの様に虚ろな視線で車窓を眺めながら 当て所ない思考を巡らす。 やがて気が付くと、目くるめく思考は 最近舞い込んだコラムの仕事の事に行き着いていた。 …確かに最近書く仕事を頂いた。 しかし、そもそも何故この仕事を請け負う事が出来たのか。 終点までの残り数分、考えてみる必要がありそうだった。 文章を書く事が好きで、思い付くままにペンを滑らせていた思春期。 やがて社会の荒波の中で身の丈を知る事となったが それでも「いつかこれが仕事になればいいな」という 安易な期待と先の見えない不安の中 僕は文章を書き続ける事にした。 「文章を書く」という事は本当に不思議な作業だ。 書けば書くほど自信(経験に裏打ちされたもの)がつくが 己の才能の限界が近づいているのではないか?という不安も大きくなる。 相反するベクトルの感情を内包しているのだ。 それでも書き続けられたのは 僕がいささか楽天家で 安易な期待の方に比重を置く事が出来たからだろう。 更に経緯について掘り下げてみる。 発端は僕の地元の友人A氏だった。 サブカルチャーの渦の中に身を置く彼は そのカテゴリーにおける地元の文化、意識の希薄さを憂い 自らフリーペーパーを刊行する事を決めた。 そしてその時、友人A氏は細々と書く事を続けていた僕の為に 誌面を割いてくれたのだった。 やがてA氏が仕事等で多忙になり フリーペーパーの方は一時休刊となったが その矢先、僕が以前勤めていたBarで十数年振りに偶然再会した 友人T伝手で今回のコラムの仕事が舞い込んだ。 この時、採用の決め手となったのは A氏のフリーペーパーに連載していた僕の記事だった。 そういった一連の回想から 「アノ点とアノ点がつながって… あぁ、コノ点とアノ点がつながったんだな」 などと勝手に納得した後 「…という事は偶然とは必然である」などと勝手な答えを導き出したところで ガタンッと電車が終点に到着した。 |
「ありがとう」の鮮度。
2008 / 02 / 10 ( Sun ) え〜言葉というのは生き物なんでございまして。
一度口にしたら、もう戻りません。 くどい様ですが、生き物ですから。えぇ。 無闇矢鱈と殺生したらいけません。 これは道理でございます。 この「言葉」という生き物、 これがなかなか飼い慣らすのが難しい生き物でして、 粗末に扱うと手を噛まれたりするんでございますな。 かく言うアタシも先だって噛まれまして。 いや、まったくお恥かしい次第でございます。 時にこの「言葉」。 TPOに応じて、見る者の前で姿を変える ちょっと風変わりな生き物なんでございます。 見る者によっては 獰猛な獅子の様にも、狡猾な狐の様にも見えるわけです。 機嫌の悪い時なんざ、獅子の様なナリで 人様の尻あたりを「ガブッ」といく事もありますから 飼い主としても注意が必要なんでありますな。 え〜もちろん、いつでも気性が荒いわけではありません。 生き物ですから、それ特有の癒しの効果ももっているわけで。 え〜そのへんはアレですな、イルカセラピーなんかと同じ原理でございますな。 「好き」なんて事を言われますと 胸のあたりが何と言いますか、こう…温くなりますし どんなに喧嘩をしても、迷惑被っても 「ありがとう」や「ごめんなさい」 の一言で蟠りが相殺されてしまいます。 これもひとえに「言葉」の持つ癒しの効果ではないかと 推考出来るわけですが ここで一番大事なのは「言葉」が生き物であるという事。 「ナマモノ」には「鮮度」がある様に 「生き物」にも「新鮮度」みたいなもんがある様に思います。 言わば「今見せたら一番驚くだろう」ってタイミング。 そのタイミングを逃してしまうと 例えば「ありがとう」の衝撃も半減してしまう様な。 え〜これでは折角の言葉も台無しでございます。 折角、人様に見せるわけですから その「言葉」の一番輝く角度で見せたいものですな。合掌。 |
僕としおりと友人S。 part3
2008 / 02 / 09 ( Sat ) そして、そんな事を思い出している時、僕はある妙案を思いついた。
「CMにみる一連の現象は、枝折りでも然りではないか…?」と。 思い立ったが吉日、待てば甘露の日和ありなんて悠長な事は言ってられん! とばかりに、即座に部屋中の本の中から枝折りをかき集め、並べてみる。 するとどうだ、僕の思った通りではないか。 枝折りの中に多分に含まれた広告的要素はもちろんの事、 イラストや写真、キャッチコピーに至るまで、 見事に時代が反映されているのだった。 「これは面白い」と、以後僕は枝折り蒐集に没頭していく事になる…。 そして、日課の様に古書店へと出向き、枝折り蒐集をしていたある日、 いつもの様にページをパラパラとめくっていると ページとページの間を一瞬、見慣れたモノが通り過ぎた。 …ん? もう一度ページをめくってみる。 やはり見慣れた何かが通り過ぎていく。 …んん? 逸る気持ちを抑え、そっとページを開くと夏目漱石と目が合った。しかも二人…。 もちろん、ドキドキする気持ちなんて微塵も見せず、 僕は何食わぬ顔で100円で売られていたその本を買ったのだった。 後日、友人達はこぞって「それはヘソクリだ」と言うのだが、 僕は「きっとお金持ちの枝折りはお札なんだ!」と反論し続けた。 何せ卑猥な雑誌の裏表紙には、 水晶キーホルダーとやらの力で金持ちになったブサイクが載っている様な奇妙な時代だ。 お札を枝折り代わりに使う人間がいたって不思議ではないだろう。 ともあれSにはお礼をしなくちゃならんな。 …水晶キーホルダーでも送ってやるか…。 追記:現在のSは大宮あたりで多くの人に紛れ、質素な生活を続けてるらしい。 Sの人生におけるピークはあまりにも早かったのかも知れない…。 |
僕としおりと友人S。 part2
2008 / 02 / 08 ( Fri ) 話は逸れたが、僕とこの友人Sは小学校も一緒だった。
それ故、僕は彼の様々な側面、奇行を多く目の当たりにしている。 小学校時のSは給食の時に箸を忘れると、 何の躊躇いもなく鉛筆を箸代わりに給食をたいらげたり、 鼻水をも拭きまくる万能タオルを持ち歩いていたりと、 羞恥心とは無縁の野性的な子供だった。 兄の影響で低学年からボンジョビを聴くようになり、小学校も高学年になると キース・リチャーズ(ストーンズのギタリスト)について語り始め、 ジーンズの色落ちについては、誰よりも開眼するのが早かった。 人付き合いは苦手だったようだが、何故か学級新聞に小説を連載していたし、 (Sが当時飼っていた『愛犬ビチの小さな冒険』みたいな話で、 これが中々の反響だったし、僕も続きを楽しみにしていた一人だった) 図工の時間に彼が作り上げたコラージュ作品は 画用紙に描いた蓋付きの大きなビンの中に 広告から切り抜いた人間の顔を無数に貼り付けたもので タイトルは『学校』。 比較的仲の良かった僕は小学生ながらに 『こいつはどうも天才くさいな』と思っていた。 そして小学5年生になったある日、S宅に遊びに行った時の事。 招かれたはずの僕を部屋に置き去りにしたまま、 いつまで経ってもSが戻って来ない。 これはどうしたものかと、僕は恐る恐る居間の方へ。 するとSは居間のテレビの前にどっかりと腰を下ろし、ゴソゴソと何かしている。 「何をしているんだ?」と尋ねると 「CMを録画している」と言う。 「CMだけを録画しているのか?」と聞くと 「そうだ」とSは言った。 よくよく尋ねてみるとCMだけを録画している理由はこうだった。 「CMだけを録りためたものを時間を経てから観かえしてみると、 その時代がよく分かる」というのだ。 つまりCMには時代が如実に反映されていると…。 言っている事は何となく理解出来たが、そりゃ小学生の発想か? その時、僕はこう思っていた事を思い出す。 「こいつの中には、きっと小さなおっさんが入ってるんだ…」 同時にこうも思っていた。 「やはりこいつは天才の類なんだな。 今のうちに仲良くなっとけば将来きっと……ムフ。」 と、まぁそこまで思っていたかは、記憶が曖昧であるが、 以上の件が4年前に僕がふと思い出した事だった…。 |
僕としおりと友人S。 part1
2008 / 02 / 07 ( Thu ) 『しおり』と言ってもそんな健気な響きの名を持つ女性の話ではない。
本に挿むアレの事だ。 皆さんがアノ紙切れ一枚にどんなイメージを持っているかは分からないが、 僕はそんな『枝折り』のコレクターである。…と言ってもまだカケダシだが。 今までに集めた枝折りの枚数はおよそ700枚。 体積でいうと800万の札束ほどの量(見た事はないが)と思われる。 しかし、ネットで調べてみると枝折りのサイトを運営している方で、 所有数1万枚という方もおられた。 これはもう枝折り道の大家である。『神の領域』だ。 僕の700枚など無きに等しい。まだまだこれからである。 僕が枝折りを集め始めたのは4年ほど前からで、 そのキッカケはふと昔の友人の事を思い出した事による。 思い出した友人の名はS。中学時代の友人で、 当時一緒にバンドを組んでいた、とても変わり者のギタリストだった。 僕らの中学時代というのはバンドブームも鎮火した後の事で、 他にバンドを組んでいる奴らもいない時代だったが、 当時の僕らは違っていた。日々夢中で楽器をかき鳴らし、 夏には合宿するほどバンドに熱中していたのである。 まぁ、それだけ熱中していたら、いくらバンドブームが去った後とはいえ、 校内では『羨望の眼差し』を浴びてもよさそうなものだが、 当時の僕らといえば同級生にも異端児扱いされ、 身を寄せ合うしかないでいたのだった。 それというのも、当時僕らがメインとしてカヴァーしていたのが 『ローリング・ストーンズ』だったからだ。 同級生達がこぞって「ブルーハーツ」やら「BOOWY」やら 「ユニコーン」やらを聴いていた時代に、 『ストーンズのコピー(しかもインスト)』は受けなかったのだ。 地区の夏祭りに呼ばれ、トラックの荷台で演奏した時は オジさん達に大ウケだったのだが…。 やはり片田舎の中学生にストーンズは早過ぎたのだろうか。 いや、『遅すぎた』のか…? |
いつかそんな日が。
2008 / 02 / 06 ( Wed ) 「古代の地球は、数頭の象の上に平らな地上があり
空はドーム状に描かれていた。そして星々はドーム状の膜に穿たれた小さな穴であると考えられていた」 そんな話を耳にした時、思わず僕は笑ってしまった。 普通の感性ならば古代の人々の今や突飛と思える発想が笑えるのだろうが、僕の場合はいささか違う。 僕もまた、それと全く同じ幻想を抱いていたからである。 もちろん、平らな地上を象が支えているとは思っていない。同じ幻想とは星々のくだり。 今や地球は丸いのだ。地上を支えるほど巨大な象も今のところ発見されていない。 しかし一致しているのが星々のくだりだけとは言え 現在に至るまでには幾億もの存在・現象が確認・解明され 今や僕は車に乗り、電話を携帯し、風邪をひけば薬を飲み 血液型の違いによる人間の行動分析だって出来る時代に生きているのだ。 その僕が古代の人々と同じ思考?りありぃ?? 僕の脳はどうなっているんだ?もしかしたら、原始的な脳の部分が 異常に肥大しているのかも知れない。そんな不安もあったりなかったり。 しかしながら、僕も古代の人々もそんな想いを抱いている(た)くらいなのだから 今この広い世界のいたる所にそんな幻想を抱いている人々がいても可笑しくない。 そう思うと更に奇妙な感覚に陥ったりもする。 あまり夜空を見上げる事が無くなりつつある今でも、時折星をじっと見つめながら、 「やはり、星々とは世界を覆う暗幕に穿たれた無数の穴からもれる光ではないか。 この暗幕を取払う事が出来たなら そこには神々しいほどに眩い世界が広がっているのではないか」 そう思う事がある。 実は疑惑の絶えない月面着陸もやっぱり嘘で、アームストロングも モーリさんもムカイさんもチアキさんもみーんなグルで口裏を合わせていて、 「本当は夜な夜な巨大な暗幕が世界を覆っていたんです。嘘ついてゴメンナサイ」 なんて日が、いつか来るかも知れないが。。。 |
『酒』を巡る考察。
2008 / 02 / 06 ( Wed ) 『酒』それに対する認識は様々だが
やはりドラッグの類である事に違いはない。 日に一杯なら良薬になるのだろうが、飲み過ぎれば「百害あって一利なし」だ。 まぁ、一利くらいはあって欲しいものだが…。 『酒呑みは奴豆腐にさも似たり はじめ四角で末はぐずぐず』 なんて狂歌も昔からあるが、 酒呑みなんてもののスタイルは今も変わらない。 飲んだつもりが、いつのまにか飲まれているもんだ。 かく言う僕も、『故・中島らも』を師と仰ぎ 『酒は裏切らない』なんて言い出す始末。 もちろん酷い二日酔いに見舞われたりもするが、 その時は『酒』ではなく己の脆弱な肝臓を恨む事にしている。 しかしながら、今のところは幸せだ。 好きな酒に囲まれて仕事をし、さらに好きなだけ飲める (自分の店だから問題はないのだが、仕事上、ある程度セーブしている)。 まさにパラダイスだ。否、パラダイスだ。 楽園よりも楽園なのだ。 と、早くも理想郷に足を踏み入れてしまった感のある僕だが、 そんな今までの経験や想いなど全てを踏まえてみると 僕にとっての『酒』とは、現実と非現実、はたまた僕と誰かを繋いでくれる 魔法の液体なのかも知れない、と思ったりする。 きっと今宵も様々な感情と引き換えに大量のお酒が消費される事だろう。 人と人とが出会い、非現実世界への扉が開かれる。 そう、『今夜、すべてのバーで』。 |
目指すはブックマーク3人じゃ!!
2008 / 02 / 06 ( Wed ) どーも。
タートル小林です。 タートルと聞いて卑猥な想像をした貴方、違いますよ。 ガンダーラ井上氏やパラダイス山元氏など 僕の好きな方々をリスペクトする意味で タートル小林にしてみました。…まぁ、半分はノリですが。 ちなみに小林も本名ではありません。 何せ最後まで、チャチャマンボ斉木にするか タートル小林にするか迷ったくらいですから。 さて、ノラリクラリと綴る予定のこのブログ。 あらゆる事物をMeの視点で叩き切る為 「そうだなぁ」と思う事も 「捻くれてるなぁ」と思う事も あるかとは思いますが 僕のネタが尽きるその日まで 末永くお付き合い頂きます様 よろしくお願いする次第でございます。ペコリ。 |
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