「ありがとう」の鮮度。
2008 / 02 / 10 ( Sun )
え〜言葉というのは生き物なんでございまして。

一度口にしたら、もう戻りません。

くどい様ですが、生き物ですから。えぇ
無闇矢鱈と殺生したらいけません。
これは道理でございます。

この「言葉」という生き物、
これがなかなか飼い慣らすのが難しい生き物でして、
粗末に扱うと手を噛まれたりするんでございますな。

かく言うアタシも先だって噛まれまして。
いや、まったくお恥かしい次第でございます。


時にこの「言葉」。
TPOに応じて、見る者の前で姿を変える
ちょっと風変わりな生き物なんでございます。

見る者によっては
獰猛な獅子の様にも、狡猾な狐の様にも見えるわけです。

機嫌の悪い時なんざ、獅子の様なナリで
人様の尻あたりを「ガブッ」といく事もありますから
飼い主としても注意が必要なんでありますな。

え〜もちろん、いつでも気性が荒いわけではありません。
生き物ですから、それ特有の癒しの効果ももっているわけで。
え〜そのへんはアレですな、イルカセラピーなんかと同じ原理でございますな。

「好き」なんて事を言われますと
胸のあたりが何と言いますか、こう…温くなります
どんなに喧嘩をしても、迷惑被っても
「ありがとう」や「ごめんなさい」
の一言で蟠りが相殺されてしまいます。

これもひとえに「言葉」の持つ癒しの効果ではないかと
推考出来るわけですが
ここで一番大事なのは「言葉」が生き物であるという事

「ナマモノ」には「鮮度」がある様に
「生き物」にも「新鮮度」みたいなもんがある様に思います。

言わば「今見せたら一番驚くだろう」ってタイミング。
そのタイミングを逃してしまうと
例えば「ありがとう」の衝撃も半減してしまう様な。

え〜これでは折角の言葉も台無しでございます。

折角、人様に見せるわけですから
その「言葉」の一番輝く角度で見せたいものですな。合掌。

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20 : 06 : 58 | 落語 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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